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by hotsuhotsu |
ひょんなことから映画監督・西川美和のこんな著作を見つけ、読んでみる。
2012年4月27日(金)、読了。 三島由紀夫、太宰治、遠藤周作、向田邦子等などの長編・短編・戯曲・エッセイを紹介。 作家たちの筆に鮮やかに描き出される人々の姿はもちろんのこと、それらを透過した西川美和の視線もまた遠慮会釈なく鋭く、洞察の深さには唸る。さすが「ゆれる」「ディア・ドクター」の監督兼脚本家。「読書案内」と銘打たれているが、作品のレビューの枠を越え、人間についてのコラムという感じ。一つひとつは短めでもうすこし読みたいが、続きはいずれ本籍地の映画に結実するのを待つとする。 採り上げられた作品の、短いものは全文(太っ腹!)、長いものは一部の抜粋も併せて収録されており、西川のレビューに続けてすぐ読むことができるようになっている。 同じ読むなら通して読みたいので長編の抜粋はパスし、ごく短いもの(三島・太宰・向田)だけ読んだところ、西川の引用の確かさもよく分かった。ぴ!と傍線を引きたくなるような肝となる文章がもれなく拾われていて、ここまで冴え返っていると、むしろ先に作品本文を読んで、それから答え合わせっぽくレビューを読むのが良いくらい。 巻末には書き下ろしのエッセイ。こちらはブックレビューではなく、著者が映画の世界を夢と定め、そこに身を置くまで、そして現在を綴ったもの。割とだらだらっと長いのだけれど、独特のちょっとウェットな勢いに読まされる。 この中で、映画の原案・脚本も自ら手がけるのはこれ以上関係者を増やしたくないから、なんて冗談めかして書いているけれど、そんな「事情」なんてどうでも良いよ、西川美和の見る・描く人間こそが観たいんだからさ!と思う。 で、ついさっき思いついて調べてみたら、現在新作製作中とのこと。タイトルは、『夢売るふたり』。やはり原案・脚本・監督:西川美和。阿部サダヲと松たか子が夫婦で結婚詐欺をはたらく話らしい。うーん、聞くだに面白そうではないか。9月8日(土)公開とのこと。
昨年末、「2012年に読みたい本」に挙げたコチラ
2012年4月3日(火)、読了。 高校生の頃、世界史の先生に面白いと教えてもらい、図書館に行って借りてみたものの、一頁も読めないままそのままに月日は流れ、ようやく。高校時代の友人曰く「長い宿題やね」。 なんとなくそうしたくて秋を選んで、夜、眠る前に布団の中でだけ読む、とも決める。お膳立てしていよいよおそるおそる読みはじめてみると、意外や意外、するする進む。あー、読めるようになったんだなあ、と感慨深し。とりかかるまでの時間を思えば読むにも長い時間をかけたくて、時々違う本も挟みながら、半年。 物語の中、世代を追うごとに一族が増え、名前も先人にあやかって同じだったり酷似していたり。親子・夫婦・きょうだいといった同世代の近い関係は大丈夫だったけれど、二代以上遡るとだんだんアヤシくなってきて、終盤はだいたいで読み進める。縦の関係は曖昧でも一人ひとりの人物が分からなくなることはなく、また、小説の面白さが損なわれることもなく(もちろん家族関係がちゃんと頭に入っている方がより面白いには違いない)。 幻想の数々は「現実」と地続きにあらわれるだけに、立ち上がり方が鮮烈。紙の上の文字で読んでいるに過ぎないのに、だからこそより一層、ありえないイメージがやすやすと脳裏に描かれる。出てくる場所や人、時には食べものなんかの姿が、いつのまにか頭の中に「見える」ようになってゆくことも読書のもたらす愉悦の一つだが、それをもっともダイナミックに味わった。この小説だけは、どうあっても映像化なんてして欲しくないなあ。 長い物語にも関わらず、読み終わってすぐ、また最初に戻って読み返したくなる。蜃気楼の村・マコンドの記憶の中に閉じ込められたい。 Wikipediaの「百年の孤独」の項を見たら、一族の歴史はなんと七世代にもわたる。今度は家系図作りながら、にしてみるか?
吉田佐和子 作品展 ETCHING & COLLAGEへ。
春の陽気をまとった銅版画に迎えられて進むと、次に置かれたのは貝殻の標本。貝の皿にはビーズが載っていて、よく見ると他にもちょこちょこ。おお、コラージュがはじまっている。 コラージュといえば今回は、アルバム一冊ぜんぶを使った作品もお目見え。手袋をはめて、自分で頁を繰って観ることができる。骨董市でもとめたというアルバム本体もお見逃しなく。布張りで、白と緑の織がモダン。 吉田佐和子のコラージュには胴体に比して明らかに大きすぎる頭が載せられていたり、人だけでなくモノからも尻尾が生えていたり、更にはそれは金や栗色の髪を切り抜いて作られたものだったり、単純にストーリーに回収されず、素敵に不敵。作品にあらわれた作家の潜在意識を読む・・・なんてことではなくて、人の意識の点滅するさまそれ自体を見せてもらった、という感じ。レコードジャケットを用いた作品に特に顕著だった遠近感の錯綜、銅版画とのミックスも面白かった。今週末まで。 吉田佐和子 作品展 ETCHING & COLLAGE 開催中~2012年4月15日(日) 12時~19時(日曜18時) 於:GALLERY MARONIE *** もうひとつ、金子祥代展「書かれた庭」のこと。(※こちらは会期終了) レースをあしらったものや絵画的な作品など、バラエティに富む書が並ぶ。サイズも大作から小品まで。 目をひいたのが、メキシコで手に入れたという紙を用いた一連。ごわごわと強(こわ)いような紙で、確かによその民族の匂いがするのだが、その一方でどこか和紙にも通じる質感がある。実際、今回に先立って1月にメキシコで開かれた個展では、現地の人々も和紙に書かれた作品の前で足を止め、時間をかけて鑑賞したという。彼らも似たような感触を覚えたのかもしれない。 赤や褐色に染まった紙に書かれているのは、日本語訳されたメキシコの現代詩。かの地で書いてきたという文字は、その内容と異郷に身をおいた書道家のたかぶりとがあいまって、熱量が多い。様々な作品群の中でも、最も金子祥代の色が出た作品だと観た。 6月には、再びメキシコの在日本大使館での個展が予定されているとのこと。
2011年12月6日(火)、京都にて。
100000tで、『鉄コン筋クリート②③』(松本大洋/小学館)。 2011年12月24日(土)、京都にて。 KARAIMO BOOKSで、『ポーの一族(全3巻)』(萩尾望都/小学館文庫)。 *** 12月6日。『鉄コン筋クリート』は随分前に1巻を買ってそのままにしてあり、引越しの際に一度は整理する箱に入れていたのだが、拾って読んでみたところやっぱり面白そう・・・、と復活(こんな本がいっぱいある)。この日、100000tではちょうど2巻と3巻だけが売られていて、これは今が買う時ということだな、と。 12月24日。萩尾望都の小学館文庫のシリーズはだいたい持っているのだが、なぜか『ポーの一族』だけがひょっくり抜けていた。ということに、お店で実物を見て気がつく。クリスマスイブにバンパネラってのもオツなもの、とお会計。 *** これが2011年の古本納めになりそうです。漫画を積むと年末年始の準備の仕上げ、という感じですね。 以下余談。『ポーの一族』といえば、
2011年12月3日(土)、奈良にて。
![]() 『園遊会まで』(サマセット・モーム(著)・田中西二郎(訳)/新潮文庫) 『人間とは何か』(マーク・トウェイン(著)・中野好夫(訳)/岩波文庫)。 朝倉文庫で、 『誘惑』(サマセット・モーム(著)・厨川圭子(訳)/角川文庫)。 フジケイ堂で、 『手紙』(サマセット・モーム(著)・西村孝次(訳)/角川文庫) 『庭のつるばら』(庄野潤三/新潮文庫)。 フジケイ堂小西通店で、 『インディヴィジュアル・プロジェクション』(阿部和重/新潮文庫)。 *** モーム大漁。 『園遊会まで』は3年前の5月、勧業会館での古本まつりにてキトラ文庫の棚で見つけたものの見送ってしまい、以来ずっと後悔していた一冊。ようやく読める。 『誘惑』と『手紙』はこれまで一度も見たことのなかったもの。『月と六ペンス』『お菓子と麦酒』以外のモーム作品の角川文庫が見つかるのは珍しい。『誘惑』はきっちりとしたお値段で、これもファンのつとめか、という気持ちで買ったのだが、その後の『手紙』の価格ときたら。桁が違う。何度確かめても一桁足りない。 相応の経年劣化はあるものの、カバーもついているし状態はいたって良好。さすがにこれは・・・とおそるおそるレジへ運んだところ、店員さんはちゃんとその値段を読み上げて、こちらが出した硬貨もしっかり確かめて笑顔で本を渡してくれた。後で同じフジケイ堂小西通店で表の均一箱から買った『インディヴィジュアル~』(カバーナシながら美本)も同じ額だったから、間違いないのだ。 それにしても、ほんの一時間ばかりの間にこんなにモームの文庫が手に入るなんて・・・。今年一年の、いや、これまでの古本生活の中でも忘れられないトピック。あまりのことに、あった!というあの気持ちも最初の『園遊会まで』だけで、『手紙』にいたってはぼーっとしたままお店から出た。驚くのを通り越して狐につままれた感じ。
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